採用サイト

仕事について

和田 巧

事業企画室2010年中途入社

諦めたら、終わり。
挑み続ける。

天狗になっていたんだと思います。この会社に入社して、営業部で8年間、ある程度の結果を出してきた自信もありました。異動先の不動産部でも、それなりにできるだろうと勝手に思い込んでいました。しかし、現実は違った。まったく結果が出せなかった。まちづくりや土地活用の専門知識が足りなかったこともありますが、いま思えば、僕自身の学ぶ姿勢が著しく低かったことが原因。現在、社長を務める河田にも、その点を見抜かれていたのだと思います。「和田、このままじゃ、成長できないぞ」と。だから、この事業企画室に異動になったとき、もうすべてを0から学び直そうと心に決めていました。事業企画室は、加和太の「世界が注目する元気なまちをつくる」という目標の実現に向けて欠かせない部署。市町村と一緒に土地の活用方法を考えたり、加和太発の新しい事業を計画し、運営したり。どうすればこのまちを活性化できるか、このまちを好きになる人を増やせるか、日々考え続けている部署です。たとえば、三島・沼津を中心に展開するシェアリング自転車「ハレノヒサイクル」。正直、加和太にとっても、土地を貸してくださる地主にとっても大きな利益が出る事業ではありません。「こんなまちにしたい」という私たちの想いにどれだけ共感してくださる仲間を集められるかという仕事です。なかには、「地方の企業に何ができるんだ」とおっしゃる地主の方もいます。でも、そこで諦めたら終わりです。「海賊王になる」と言い続けるアニメの主人公のように、自らが自らを信じ、熱量を持って挑み続けなければ誰一人動かすことはできません。

加和太の目指すべき、
マルシェを求めて。

事業企画室に異動になってからとくに印象に残っている仕事は、立ち上げから携わった「ハレノヒマルシェ」です。ある日、河田から話を振られたことをきっかけに、インターネットで調べ、「こういうビジネスキームだったら上手くいくのでは」とレポートを提出するところから始まりました。しかし、河田の反応は厳しかった。「まずは和田がマルシェについて勉強すること。議論はそれからだ」とレポートを返され、「とにかく、好きなだけマルシェを見て来い」と言われたのです。結局、当時の僕のレポートには自分自身の意志がなかったのだと思います。それから半年間をかけて、全国40ヶ所以上のマルシェを見て回るチャンスをもらい、主催者や出店者たちの話も聞きまくりました。そして、社長とも再び議論を重ね、加和太のマルシェが目指す成功は、「利益を出すことだけじゃなく、地域を元気にすることだよね」と共通のゴールを決めることができたのです。その後は、自ら出店者探しにも足を運び、食材やフード、アクセサリーなど、この地域でこだわりを持った様々な出店者を集めることができました。開催直前に台風の影響で二度の延期に見舞われたときは心が折れそうにもなりましたが、「僕がくじけたら、誰がやるんだ」と心を奮い立たせました。三度目の正直で、8月の快晴のなか、第1回ハレノヒマルシェを開催ができたときは本当にうれしかったですね。会場に遊びに来てくれた子供たちの笑顔を見て涙が止まりませんでした。

これからも新しいことに
挑戦し続けたい。

今回のマルシェではもう一つ忘れられない出来事がありました。高校1年生になる自分の娘も遊びに来てくれたのですが、その娘が「お父さんの仕事、面白そうだね」と言ってくれたんです。この一言は本当にうれしかった。加和太の事業企画室にとっても、若い人たちに「面白い」と言われる仕事ができたことは価値あることだと思います。まだまだ収益では存在感を示せていませんが、加和太の仲間たちにも「うちには面白い事業企画室がある」と誇ってもらえるような仕事をこれからも増やしていきたいですね。そうした挑戦ができる土壌が、ここには確実にあります。だからこそ、この地で面白いことをやってみたい、自分のアイデアを試してみたいという人がいたら、新卒・中途問わず、ぜひ一緒に働きましょう。僕自身も新しいことに次から次へと挑み続けたいと思います。日本、いや世界に前例がないことだっていいじゃないですか。僕たちにしかできないまちづくりを一緒になしとげていきましょう。

一覧に戻る