採用サイト

会社について

/会社について

加和太建設とは

創業の地は兵庫県の明石市。
復興工事を機に三島市へ

1946年、兵庫県明石市に加和太建設の前身となる近畿土建株式会社として創業しました。1958年、三島市に伊豆出張所を開設。1962年に本社を三島市に移し、社名も加和太建設株式会社と改めます。ちなみに、伊豆出張所の開設はこの年の9月に伊豆、関東に大きな被害をもたらした狩野川台風の復興工事に駆けつけたことがきっかけです。加和太は、この狩野川とその後も護岸工事や巡視業務などを通して長く付き合っていくことになります。

リクルート、三井住友銀行を経た、
異色の三代目社長が誕生

代表取締役を務める河田亮一が父親から会社を継いだのは2015年10月。営業や企画などの現場で約8年間の修行期間を経ての就任でした。河田自身は大学卒業後、リクルートに入社、営業として約5年間勤めた後に三井住友銀行に転職するなど、建設会社の社長としては異色のキャリアの持ち主です。しかし、建設業界以外の世界を知っているからこそ、業界の常識や慣習にとらわれず、周囲を巻き込みながら加和太を大きく変革できると期待されました。

「世界が注目する元気なまちをつくる」
と掲げ、新しい挑戦がはじまる

河田の社長就任の頃には土木や建築の工事に加え、事業自体の企画や施設の運営も手がけるようになり、まちの人たちとの交流も盛んに。多くの情報やまちづくりのアイデアも集まるようになりました。そこで生まれた目標が、「世界が注目する元気なまちをつくる」こと。私たちの取り組みによって、日本の地方ゼネコンの新しい可能性を示し、世界のまちづくりのお手本になることでした。

地方ゼネコンの可能性を信じ、
幅広い事業や様々な取り組みを展開

現在、加和太では、従来の地方ゼネコンの枠を大きく超えた様々な取り組みに挑戦しています。たとえば、富士山の麓の豊かな自然や食材、景観、作り手の魅力を世界に発信するブルワリーレストランや、伊豆を訪れる観光客はもちろん、地元の人たちも気軽に立ち寄りたくなる道の駅などの企画、運営。さらに、三島を中心とするシェアリングサイクルのネットワークづくりなど、このまちの未来を考える人たちと一緒にこのまちの元気づくりに力を入れています。

10年後に目指すのは、
100人の社長を輩出するグループ企業

「世界が注目する元気なまちをつくる」という大きな目標を実現するためには、加和太はもっと成長しなければなりません。しかも、この国の地域経済の現状を考えたら一刻も早く仕組みや体制を整える必要があります。そこで、私たちは「10年後に売上1000億円、100人の社長を輩出するグループ企業になる」という目標を新たに掲げました。10年後の主役になる皆さんへ、ぜひ、私たちと一緒に成長し続けませんか。

一覧に戻る